車は正直だ。
人のように嘘は付かないし、どこまでも素直なんだ。
それを誤魔化させてるのはいつも人だし、車より先に人が素直にならなきゃいけない。
そうすれば車は今の状態をひとつずつ教えてくれるし、オーナーももっと走りたい気持ちでいっぱいになる。
その気持ちがなくなったら、たぶんもうその人は車に対してまっすぐ向き合えない人だと思う。
だから人付き合いって実は苦手なんだ。
冗談は言っても、自分の車に嘘はつきたくない。
人と付き合う為に車を誤魔化すような真似も正直疲れてきた。
”やりたいようにやる、やった中で車と相談する”
人よりもずっと付き合いやすい、だから楽なんだ。
他人からよく何を考えて車をそういう風に弄っているのか分からない、と言われる。
正直、そこまで理解して欲しいとは思わない。
”知ってもらいたい”と”理解してもらいたい”は少し違う。
知ってもらうことはすぐにできるけど、理解してもらうのは凄く時間がかかる。
理解しようとする人とは付き合う気はあるけど、知っただけで一蹴するような人は正直どうでもいい。
理解できないからそれは間違ってるとか、セオリーに反してるからそれは間違ってるとか。
流石にフェンダー切っておいてバーフェンも付けずにはみ出しタイヤにしたりとかはどうかと思うけど、特別そこまでの事をやってないならそれはオーナーの自由だ。
理解できないからとそれをその人の言う通りに軌道修正されられたら、もうそれはオーナーの車じゃない。
”人のやってる事が気になったから聴きながらやる”のと”間違ってるからこうしたほうがいいと言われたのでやる”のは大きな違いだ。
前者はオーナーの色のままだけど、後者は他人の色を入れてしまっている。
10人いれば10通りのスタンスがあるんだ。
無理に周りに合わせる必要なんてない。
自分のやりたいようにやらせてあげればいいのに、それは間違ってると指導することこそ間違いだと思うね。
例えば、他の人がやって全然ダメだったと言っていた事を自分がやろうとする。
無意味だ、時間・金の無駄だとストップをかけられる意味が理解できない。
本人がそれを経験すべきなんだ。
聴いた話は経験にはならない、なんでもそうだけど聴いたから分かったとは言えない。
実際にそれを実行してみてなぜダメなのか自分で思考しなきゃいけない。
結局、結論から言えばみんな自分のやってる事が正しいと証明したいだけに過ぎないんだよ。
それこそ無意味だと思うけど。
十人十色、自分を貫けばいいだけなのにそれに自信がないからそうしたいんだ。
もしくは凝り固まり過ぎてて、悪い意味で視野が狭いんだ。
狭くてもいいんだよ、自分の車に没頭してるだけならね。
そういう人は大体他人の車にまず興味ないし。
だから否定するよりは許容できるようになったほうが楽しい。
でも100%は絶対無理だ、それは白銀だって無理。
人間どうしても許容できない幅ってのがある。
無理する必要はない、でもダメなら突っぱねるしかないかって言えばそうじゃない。
口にしなけりゃいいんだ、お互いそれが一番いい時もある。
知らぬは仏とも言うしね。
個人的に、車弄りにルールなんてない。
あるとするなら愛車を蔑ろにしないことだ。
他人の事を気にして乗るくらいなら弄るのを降りればいい。
ああしてやらなきゃいけないとか、こういう流れに沿わなきゃいけないとかいうのなんてルールじゃない。
それは他人が決めたものだ。
コレ!っていう目標があるならそれに向かって進めばいい。
でも寄り道したっていいんだ。
ずっと1本道を歩き続けるよりも、時々寄り道してまた元いた道に戻ってくればいい。
寄り道だって全然悪い事じゃないんだ。
そのおかげでもっといい道が見つかるかもしれない。
他人よりも愛車、友人より仲間。
車の付き合いで出来た”友人”よりも、白銀は車で繋がった”仲間”のほうが大事だ。
上っ面での付き合いの”友人”よりも、気兼ねなく馬鹿言いながら一緒に進んでいける”仲間”を見つけたいね。